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2022-10-02心と魂についての考察

お知らせ

心と魂(精神)の違いって?

・心は、外のモノゴトに反応して刻々と変わるもの。
・魂(精神)は、何があっても変わらず、この生を越えてもず~っと続くもの。
・心は「喜怒哀楽」などの感情担当。
・魂(精神)は、知性(認識能力)意志(実践能力)感性(審美能力)の担当。
・心は、頭(地球)とつながっているもの。
・魂(精神)は、宇宙(潜在意識)とつながっているもの。
・心は、他人と自分とをつなぐもの。
・魂(精神)は、神(見えない意志の力)と自分とをつなぐもの。

魂のタマちゃん、心のコロちゃん

魂は、絶対に信念を曲げない頑固モノ。心とは、勝手にコロコロ転がる元気モノ。
同じ扱いを受けることもあるけれど、実は全く違う性質を持つモノです。

魂とは持って生まれた気質や性質であり、前世の記憶や宇宙の理の影響を強く受け取っているとされています。
一説には、魂の本質は何度生まれ変わっても核の部分だけは変わらないのだとか。
タマちゃんがどこから来てどこに帰るのかは神のみぞ知るですが、魂が輪廻転生を繰り返していることを否定している人は、日本人には少ないのではないかと思います。

魂の仕組みについても神のみぞ知るですが、両親の遺伝子という先祖代々の記憶と魂の核が結びつき、命は誕生します。
そこに遺伝的な要素以外の生まれた時間や場所、星の配置などの影響とも強く結びついているなど、人類の歴史には何万年もの謎が受け継がれているようです。

それに対し、コロちゃんは、頭とコンタクトを取りながら、常に外部の影響を受け取りながら変化して、流動的に活動し続ける変幻自在な特性をもっています。とても多くの感受性というアンテナを持ち、オーラというエネルギーを発し、波動という生命エネルギーを循環させ、喜怒哀楽という感情も司る、超働き者です。

あまりにも多くの役割を担っているため、そのバランスをとるためには、健康状態や安心安全の確保などが必要になります。
愛着の仕組みというのは、このバランスを調整する役割を強く持っているのではないかと私は考えています。

 

この世界の全てのモノは、ある一定の法則の元に流れています。流れが滞ると必ず歪が生まれ、それを解消するために、大きな破壊が生じます。これは人体の血管も宇宙のエネルギーも同じ状況や結果、つまりは因果の法則で成り立っているものです。

喜怒哀楽の感情も循環するようにできていて、循環が滞ったり、一つの感情にとどまろうとすると感じなくなる鈍麻や爆発などの感情崩壊が起こり、心身の不調となって現れます。

どんな流れにも、必ず因果の法則があり、生も死も含め、この宇宙全体がこの法則から逃れることは出来ないのだと感じます。
タマちゃんもコロちゃんも人間の身体と宇宙の法則の中で頑張り続けているのだと思います。

今人間社会では、心を病んでいる人が多く存在しています。
タマちゃんとコロちゃんの間に何が起きているのでしょうか?

精神性とは何なのでしょうか?

いくら調べてみても、魂や精神のとらえ方は多様で、定義できるほど単純なモノではないのだと思いました。

言葉通りの捉え方だと、魂(精神)の性質となります。

私自身の捉え方は、魂の核の特性に親からの遺伝的特性が加わり、その土地の記憶や風土など大自然の理が合わさることを考えると、母親の母体から切り離された瞬間に、外宇宙の見えない力を吸収してその特性が決まるのではないかと感じています。胎児は子宮の中で宇宙とつながっていると言われています。内宇宙から外宇宙へ出た瞬間にどんな力(メッセージ)を受け取っていて、それをどう活かすかが、使命と言われるものではないかと感じています。

使命を活かせず、魂の訴えが心との間で葛藤を引き起こし、心を疲弊させているのがストレスの正体なのだと感じます。

魂が、融通の利かない確固たる信念に基づいているのだとしたら、魂の使命とはありのままの自分の中に存在し、訴えているのだろうと思いました。すると精神性とは「自分で自分の使命を認識しようとする意志」ということなのでしょうか…。

自分を自分で認識する意志とは?

自分の魂の使命、自分の志を探し求めているということなのでしょうか?

魂の使命が生まれた時には出来上がっていて、未熟な頭や心が成長する過程で潜在意識から魂の影響をうけながら成長しているということになります。確かに今思うと子供の頃から自分の特性は変わっておらず全てが今につながっていることが分かります。
心が働かなくなった時、何のために生きているのかが分からなくなりました。
自分の意志を見失なった状態は、精神性が低いのではなく”ない”状態なのだと言いますが、確かにそうだったなと思います。

では、自分で自分を認識する意志がないとは???
自分で自分を認識する覚悟も責任も決意も自分の意見もない状態…、自分自身の使命を放棄した状態…?
なんだか少し前までの自分のことの様に聞こえます”(-“”-)”

確かに、心が疲弊しすぎて動かなくなった時の自分は、とても投げやりで、自信が無く、自分を卑下する言動や自己否定ばかりしていて、今思うと何事にも向き合いたくなかったような気がします。自分と向き合いたくないから自分で自分を貶めるような言動を繰り返していたなと思いました。

おもしろいことを思い出しました。
マイナス思考の塊のような時でも極たまに正気に戻るような時があって、ほんの小さな善意行動をしてみたりして、でも続かなくてまたポツリと何かする…みたいなことを何年もしていて、徐々に間隔を狭めていたのかもしれません。10のマイナスと1のプラスから、8:1、5:1、3:1と変化してきたきかします。

人の治癒力というのは、魂の使命に連動しているのかもしれないと実は思っています。
癌患者が奇跡的に治癒したとか、特別な才能もそうですし、天才と言われる人が魂の使命と合致した時の力の発動など、自分自身の回復が急に進んだのも、愛着障がいというキーワードに進んできたことがキッカケでした。

自分の魂の使命に気づくにはそこまでの試練や学び、経験の積み重ねが必要なのかもしれません。
生きづらさの根源だと思っていた発達の凸凹も、実は自分にとっての才能の一つなのだと今は思えます。
山のような失敗や罪悪感、不器用や大雑把で様々な人に迷惑もかけながら、助けられながら生きて来たのに、感謝の気持ちも素直に出せず、コミュニケーションも下手で、そんな自分でも受け入れてくれる世の中に心からの感謝の気持ちが持てています。

ただ自分を受け入れてくれているこの世界に、ありがとう。

精神性がなくても意志がなくても生きられるのが今の時代です。
おかげで私も、何年もひきこもりながら英気が溜まるのを待つことが出来ました。
そして英気が溜まったところから、再び心が動き始めました。
体力が落ちておぼつか無い状況を、周囲の他人が助けてもくれていました。
かつて自分が多少なりとも支えてきたご縁が、今度は弱った自分を助けてくれた。
これもまた、自然の気の流れの一つ因果応報だったように思いました。

精神性の捉え方は人それぞれですが、自分自身を見失わないことがとても大切なのだと思います。
たとえ、一時的に見失ったとしても、魂の本質は頑固で変わらない…のだとしたら、魂の声に耳を傾けなければ、再び心が壊れてしまうかもしれません。

自分らしさとは、心と魂のバランスを保つための大切なもの、なのだと感じています。

 

 

 

 



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